つかさ鍼灸治療院 トリガーポイント療法

埼玉県八潮市にあるトリガーポイント療法のつかさ鍼灸治療院
院長の高橋正司のブログです。
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    2012年  7  1番心に残ること
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      心に残ることは全ての患者様から頂いた

      『お礼や感謝』

      の言葉です。

      その中で特に残っているのは、


      2年以上、週5日在宅リハに伺っていた患者さんの言葉です。


      その方は末期のガンでした。余命半年と言われていたのですが2年も伸びた方でした。


      とても前向きで、

      「必ず良くなって、仕事に復帰する」と常に話していました。


      ガンによる痛みとシビレ。

      胸椎下部にヘルニアが有ると診断され、今現在痛みが無くてもいずれ痛みが出ると言われ手術をしています。

      その手術の後遺症による痛み。

      歩行も間々ならないと言う感じでした。


      私が伺うようになったからと言ってその痛みやシビレが改善し全て良くなったという訳ではありません。


      ガンの進行が止まったと言う訳でもありません。


      ですが、私が伺うのを心待ちにしていて下さいました。

      毎日の習慣となっていました。


      全身の筋肉をほぐしたり、
      下肢のストレッチをしたり、
      ガンによる上肢へのシビレがひどいときは、神経刺鍼をしたり、
      冷えが強くて内蔵の動きが悪い時は、臍にお灸をしたり、
      下肢の筋力アップのために運動したり、

      自分が提供できる事はすべて行なったのではないかと思います。


      しかし、ある日突然、下肢に力が入らず立てなくなった。

      普段は2階で寝ていて、朝起きてから1階の部屋で休んでいました。

      それが、自分の布団から出れなくなってしまった。

      突然の事だと言っていました。

      伺うと「お腹に力が入らない」と仰っており、お腹を触ってみると

      異常に硬い。便秘がひどくなり硬いのかとも思い、按腹。

      20分ほど行なっていると少し軟らかくなり、何とか歩けるようになりました。


      しかし、次の日に連絡があり

      「また、力が入らなくなり今度は病院に入院した」

      と言う事でした。

      内蔵に転移していて手の施し様が無い状態で切除せずふたをしたそうです。

      そのご数日でお亡くなりになってしまいました。


      四十九日が過ぎた後、料金の領収もありご挨拶に伺いました。


      その時にご家族から言われたのですが、

      「早く退院してリハビリをしてもらいたい。退院できなければ病院に来てもらってリハビリしたい。
       私(高橋)にリハビリをしてもらいたい」と最後まで言っていたそうでした。

      自分では大した事は出来ていないし、本当に役に立てているのだろうかとどこかで常に疑問を感じながら
      施術していました。

      しかし、その言葉を聞いて間違ってはいなかった。自分の施術を必要とされていたのだと、

      とても感じることが出来ました。それと同時に自分に自信が持てるようになりました。


      今まで、辛い事や驚いた事、嬉しかった事などたくさんありました。


      週末伺った時は元気だったのに、週明け伺ったら亡くなっていたと言う事もありました。


      痛みやシベレを少しでも取り除くのはもちろんですが、患者さんを元気にしたい、

      痛みやシビレのない身体、
      痛みやシベレの感じない時間の提供「小さな幸せを感じて頂くため」

      笑顔になってもらうためにも、今後も全力で施術していきます。

      宜しくお願い致します。
      | 2012年 開業 | 17:48 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
      2012年 6  1番辛かったこと 
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        辛い事はいろいろありましたが...

        患者さんに言われた言葉で1番辛かったのは


        「もう、こないで。ヤダ、やってほしくない」

        やさしい言い方では

        「もう、良くなりました。次回は結構です」
        「来週は出かけるから、お休みにしてください。今度は連絡しますから」

        って歩けないのに...


        来ないでくれと言われるのは精神的に辛いですね顔

        家族は来てくれと言うのですが、患者さんから「来るな」と...


        私が行くと家族でケンカが始まる。


        何度も続くと行くのが苦痛になる。

        5回目に伺った時にさすがにご家族の方に「少しお休みにしましょう」とお話しさせて頂き終了しました。



        今までに何十人と患者さんのお宅に伺っていましたが2人そういう方がいらっしゃいました。


        でも、この2人も患者さん達も悪い人ではないと思います。

        それは、どちらの方も認知症です。

        いくら呆けた事を言っていても、人が嫌がることを言っていても、根本的に認知症と言う病気があるために出た発言であり、行動でしょう。

        認知症とは病気です。症状の無い人から見れば 

        「訳のわからない事を言っている」
        「頭がおかしくなった」

        等々いろいろ感じるところはあると思いますが


        すべて『認知症』と言う病気の影響です。


        分かっていても当時はとても辛かった。

        在宅リハを「辞めたい」とも思いました。

        でも、逆に私が伺うのを心待ちにしている患者さんも居いました。


        だから、続けることが出来たと思います。



        辛い事は他にもたくさんありました。

        2年位、伺っていた患者さんが亡くなってしまったり...

        この話は次回、心に残ることでお話しさせて頂きます。


        続きはまた後日
        | 2012年 開業 | 22:18 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
        2012年 5 1番驚いたこと!
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          最近日にちが空いてしまっています顔

          今回は7年を振り返って

          在宅リハを行なって来て1番驚いたこと

          驚いたと言うより動揺した顔焦った顔ことは...

          家に伺ったら亡くなっていた。第1発見者となってしまった事でしょうか。

          患者さんではなく、配偶者の方です。


          古い大きな農家のお宅で、夜寝るときは玄関や縁台のサッシ(木のやつ)の内側にカーテンを引いてお休みになっているような所です。

          毎週2回、朝の9時に伺っていました。

          いつもだとカーテンが開けてあり、ご家族が外で活動しているのですが、その日は...

          家全体が寝ている感じ?人の気配がない。

          患者さんは一人で歩く事が出来ない状態の方でしたので、家にいるはずでした。


          インターホンが無いので、ドアを叩きあいさつをし、試しにドアを開けてみた顔

          すると開いてしまった。あいさつをしながら中に入って行くと、患者さんのうめき声が聞こえてきた。

          それと何とも言えない、鼻に付く匂いが家中していた。


          顔何だ?声のする方に行って見ると、布団の中で声を出していた。

          「どうしたの、お父さんはいないの」と聞いてみると「分からない、風呂に入るって言ってから帰って来ない」

          帰って来ないってどう言うことだろう思ったが、家の中を探して回った。


          すると、湯船の中で亡くなってしまっていた。

          焦りました。動揺した。

          こんな時はどうしたら良いのだろう。たしか、最初は声掛け?

          明らかに数時間経っているようにも見えたが...


          患者さんに気づかれないように外に出て119番に電話。


          電話の向こうで「風呂の栓を抜いて下さい」って。えっ!お湯の中に手を入れるの?

          迷ってしまいました。

          しかし、栓を抜き外に出てしまいました。


          外に出ると何か異変を感じたのか、隣に住んでる家族が駆けつけて来ました。

          事情を説明し、救急に電話をしたことを話し。患者さんの元に。


          栓を抜いてから、風呂場には行けませんでした。


          救急が来て状況を説した。死亡後時間の経過があると言う事でした。


          警察を呼び、現場検証をするので待っていて下さいと言われた。


          警察が来ると初めから説明し...一服させてもらった。


          鼻に付いた匂いが取れない感じがした。死臭だったのだろう。


          1時間半足止め、後は家族の方にお願いして次の患者さんの所に向いました。


          1番ショッキングで、動揺した出来事でした。


          在宅リハはこんな状況に出くわすことがあります。2回ありました。


          では、また次回
          | 2012年 開業 | 22:51 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
          2012年 4 決断の時
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            開業を決意した時のその前に...

            だらだらと、9時から18時位まで自分のペースで事務的に在宅リハを行い、

            人並みの給料を貰い、変化のない日々を過ごしていました。


            院長からもっとしっかり考えて仕事をしなさいと言われていましたが、当時は在宅リハが仕事だから


            それ以上の事は理解できなかった。


            毎日、決まった時間に決まったお宅に伺い施術。

            さすがに6年も続けていると飽きてくる?と言うよりつまらなくなってくる。

            今考えると患者さんのことをもっと考え常に変化を出せるようにと努力して取り組んでいればもっと楽しくワクワクしながら仕事を出来たのかもしれない...


            しかし、当時は何か刺激が欲しく「自分で開業しては」と考えるようになりました。

            始めは自分の都合の良いように考え、夜自宅で開業、昼間は勤めで在宅リハと言うペースでやらして欲しいと、院長に相談してスタートしました。

            自分の時間が出来るようになり、少し余裕をもっていて自宅に患者さんが来なくても気にしなく「在宅リハで取り合えず食う分の収入はあるから良いや」と...

            そんな状態で1年があっと言う間に過ぎた。

            最初の年はそれでも80万位にはなっていた。



            中途半端な状態を続けていたそんなある日、院長より色々な話をして頂いた。


            このまま続けていくのか。

            本気で開業する気あるのか。

            開業しないほうが良いのでは。

            等々を含めた色々な話しを。


            さすがに本気で考えさせられました。


            常に暇さえあれば考えた。


            夏の連休に青森(奥様の実家)で海を眺めながら...


            そして去年の9月に入り院長に「来年の3月いっぱいで卒業します」と話した。


            ちょー緊張した。自分で決断し自分の思いを院長にぶつけた。


            「よく言った、その言葉が聞きたかった。どういう気持ちで決断したのか分かった」


            と言って頂けた。言った私も嬉しくなった。



            卒業を決断する前に、だらだらと掛け持ちしながら仕事をこなしている時、

            自分には売りとなる技術はあるのか、他の治療院と比べて魅力のある特徴はあるのかと考えた時


            何もない。特得意な症状がある訳でもないし、自信を持って直せる症状も特に浮かばない。

            かと言って出来ないわけではなかった。それなりに症状を改善する事は出来ていた。出来る。


            でも、それはほとんどの鍼灸師は出来る範囲だと思っていたので、その部分を売りにするわけにはいかない。


            そこで、鍼灸学校卒業直後、少しだけ勉強に行っていた


            『トリガーポイント療法』


            をもう一度勉強しなおしてマスターし、自分の売りにしようと考えました。


            トリガーポイント療法の先生に電話をして相談し、

            私の同期の先生に電話をして「技術を教えてください」と頼み込みました。

            トリガーポイント療法を学びながらも、院を卒業し完全独立開業と言う決断にはすぐには至りませんでした。


            その後決断し前向きに取り組み時間が過ぎていきました。

            今年の4月で約1年になります。早いものです。

            今まで自分が行なって来た技術は忘れてしまったに近い状態です。


            全てがトリガーポイント療法を中心に行なっています。


            と言うよりトリガーポイント療法しか出来なくなりました。



            今は技術の勉強、そして経営・ビジネスの勉強、開業の準備。


            常にやる事が多く考える事が多く毎日が楽しい。そして不安も少し。


            2ヵ月後にはフル営業です。時間が足りない位です。

            家族にはまた、迷惑を掛けてしまいますが慌てず自分のペースでしっかり取り組んで行きます。

            皆さん宜しくお願いします。


            長くなりましたが、続きはまた後日
            | 2012年 開業 | 22:31 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
            2012年 3 鍼灸師として
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              かなり、時間が空いてしまいました。かお


              2005年4月、鍼灸師として在宅治療専門で働きに出ました。

              給料は完全歩合制です。

              働いた分だけ頂けます。想像するだけで夢が膨らみました。

              始めは週3日で2〜3人位だったと思います。

              正直、健康センターで働いていた時のピーク時の1/4位でした。

              さすがに奥様はあきれて何も言いませんでした顔

              同期の仲間の半分に近い位の金額でしょうか顔


              でも、一人一人一生懸命施術をさせて頂いていれば、近い将来収入が上がってくる。

              そうすれば金銭的・精神的迷惑を掛けていた家族に少しは安心させられる。

              義理の両親にも報告できるかお


              同期の仲間の金額なんてあっと言う間に抜いてやると思ったのを覚えています。


              学校を卒業して始めの頃は

              “鍼灸師として一人でも多くの患者さんを楽にして上げよう、喜んで頂こう、痛み・シビレを取り除くぞ”

              と言う気持ちで患者さんのお宅に伺っていましたが、在宅リハを利用する患者さんは厳しい顔

              脳梗塞の後遺症であったり、難病指定を受けている病気を抱えていたり、寝たきりだったり...

              ターミナルケアとして末期のガンの方もいらっしゃいました。

              心が折れて仕舞いそうになります。ほとんどの方は改善?軽減?完治はほとんどありません。

              体調が急変して、病院に入院したり、救急車を呼んだ事もあります。

              基本的に高齢者も多いので亡くなってしまう方も少なくありません。

              気持ちが強くなければ続けられないと感じる。

              そんな中でも、私を待っていて下さる患者さんの為に少しでも喜んで頂けたらと言う気持ちで伺っていました。



              2年位続けていると、収入も上がり安定して来て気持ちに余裕が出来てきました。

              それと同時に技術向上と言う大事な部分の追求が少なくなってしまった。

              手を替え品を替え施術しても、脳梗塞の麻痺が治る事はないし、寝たきりの方が歩けるようになる訳でもない。

              痴呆症が良くなる事もない。

              2次的痛みは改善することは多いのですが...

              何となく月日が流れて行ってしまった。


              ここまでが鍼灸師になって5年くらいでしょうか。

              今考えるととても怖い事です顔

              次回はその後、気持ちの変化と開業しようと決めた日までをお話しさせて頂きます。

              それと、今まで在宅リハを続けてきて

              1番驚いたこと    お宅に伺った時にまさか!

              1番辛かったこと   よくあるはてなあっては行けないのだがかなり堪える言葉だった

              1番心に残ること   対して力に成れなかったのに言って頂けた言葉


              を順に書き込みして行きたいと思います。

              矯味を持ってくださった方は...ぜひ!

              続きはまた後日
              | 2012年 開業 | 21:19 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
              2012年 2
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                専門学校に入ってからのお話

                高校を卒業してから約10年。今更学生をするとは思ってもいませんでした。
                始めは緊張とドキドキでいっぱいでした顔

                実際は学費をしっかり払えるだろうか。勉強について行けるだろうか。ちょとだけ、友達出来るかな顔など...

                学校は9時から14時30分までその後16時から24時まで仕事をしました。

                家族に飯を食わせなければいけないし、来てくださるお客様には迷惑をかけられないし、とにかく頑張った(自分では顔

                1年生の授業内容は今まで講習会などで勉強した内容に近い基礎・入門だったので意外とこなす事ができた。

                問題は2年生である。始めの緊張もなくなり気持ちや勉強にも余裕が出来てきた為に、たるんでしまう。たるんだ。

                赤点も1回取ってしまった。追試にはお金が掛かる顔奥様には内緒にしました。

                専門学校となると年齢も下は現役から上は定年退職後ととても幅があり、多くの友達もできました。


                さて3年です。3年になるとどこと無く緊張感が出てきます。そう国試の時期が見えてきます。

                2年までは成績も(自分で言うのも何ですが)前から数えた方が早い位だったのですが、3年になりテストを重ねるごとに順位が下がって行った。が、成績が落ちたのではなく若い子たちが本気で勉強を始めた為抜かされていったという方が正しいと思う。

                この頃はテストの時期になると、夜の1時には寝て、朝4時に起きて勉強しそのまま学校に行ってテストを受けていた。朝の方が静かで良く集中出来たので顔と言うより一夜漬けと言うのでしょうか汗

                2年半位はこんな状態で学生生活と仕事を両立して行きました。

                しかし、ここで家族に迷惑と負担を掛けてしまいました。

                2年の後半。11月末に仕事を辞めてしまった。
                理由は今まで払っていた学費 ¥450万位でしょうか汗それを無駄にしない為に、国試に落ちない為に。
                勉強に集中させてくれと、奥様に頼み込み仕事を辞めた。

                週2回バイトはしました。2〜3時間位!子供の小遣い程度です。無いのと同じです。

                しかし、仕事を辞めて時間をつくり急に勉強モード全開とは行かず、今まで見れなかったテレビを見たり、DVDを借りてきたり汗1ヶ月、正月明けまで...

                本来モードに入り、毎日学校終了後、図書館に行き勉強をし、国試に望みました。

                それでも、自己評価としてはギリギリでした。

                それでも何とか合格して、鍼灸師となりました。

                勉強はしてもしてもしたりない。今でも常に勉強してます。


                治療に関する知識に技術。

                社会人としての知識と常識。

                治療院を経営する知識・ノウハウ。

                それらをちゃんと理解し使いこなす。

                そして痛みやシビレに苦しんでいる多くの患者様に小さな幸せを感じて頂く為に。

                止める事無く突き進む。一生勉強です。


                最後まで読んで下さいましてありがとう御座いました。

                鍼灸師として1年生、続きはまた後日
                | 2012年 開業 | 21:20 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
                2012年
                0
                  2012年、今年は私にとって記念すべき年であり

                  私たち家族にとっても大変な1年になる年です。

                  残すところあと3ヶ月で勤めている院を卒業し、自宅でフル営業のみとなります。


                  正直なところ不安で一杯です。

                  今まで何をするにも自分だけで考え、決めて家族には迷惑と苦労ばかり掛けていました。


                  1番初めはホンダの販売店で二輪の整備士をしていた時この業界では家族を養う事が出来ない。また、自分の身体には欠陥あり(腎臓が片方全く機能していない)担当医からもバイクに乗ってはダメと言われていたので、父が業としていた治療家の道に転向しました。
                  本来ならば私個人的な考えとして、一度就職したなら定年まで勤め上げたいと言う気持ちが強かったのですが...
                  現実は厳しく、転職を決意しました。
                  父の治療院に勤めながら1年間研修を受け、整体師(療術師)として更に1年働きました。


                  その後、父の1番弟子の方の紹介で健康センター内のマッサージ室で仕事をすることになりました。
                  ここでは完全歩合制で施術した分だけ報酬を頂ける所でした。
                  5月のゴールデンウィークから働き始めたので初めてでもそこそこの報酬を頂けたのを覚えています。

                  満足のいく施術を提供しないとお客様(患者様)は指名してくださらないので、常に全力で取り組み、要望に応えようと必死に勉強し、技術を磨きました。

                  その結果、自分で言うのも何ですが、4年後には1番の売上を上げるようになり責任者も任されるまでに駆け上がりました。
                  この頃が1番収入も多かったですね。片手位でしょうか顔

                  常に楽になってもらいたい、疲れを取ってあげたいと言う気持ちでいつも施術をしていました。
                  どうほぐしたら楽になるか、当てる指の角度や力加減。
                  指を立てるのか、寝かせるのか。
                  全てのお客様(患者様)を納得させられる様になりたいと言う気持ちで施術していました。

                  そんな気持ちで常に向っていましたので、後輩たちも同じ気持ちで施術するようになり「センターの設備・風呂は良くないが、マッサージはここだ」と言われるようにまでなりました。

                  タクシーの運転手などもお客に聞かれるとそんな感じで言っていたそうです。
                  後からお客様に教えて頂きました。とても嬉しかった顔

                  最終的には8年間ここで仕事をさせて頂きました。

                  安定が続き、変化のない日常が続いていると新しい事に矯味が沸いてくるようになりました。
                  それが鍼灸でした。アルバイトで鍼灸師の方が来ていて、その人から鍼灸治療の話し治療の幅の広がりを聞いているうちに大変矯味が沸き、八潮から1番近い鍼灸学校を調べました。

                  それが吉川市にある旧埼玉東洋医療専門学校(現東洋医療福祉専門学校)です。

                  その4ヶ月後には鍼灸学校に入学していました。
                  専門学校の入学も試験を受けて受かったら入るからと奥様に告げただけでした。
                  合格するとは思っていなかった様でしたが...

                  ここでまた、家族には迷惑と苦労をさせてしまった。

                  入学金や授業料など、奥様は仕事に行くようになりました。すいません

                  広い意味で医療(治療家)に携わってから鍼灸学校入学までを書いてみました。

                  最後まで読んでくださいましてありがとう御座います。

                  続きはまた後日





                  | 2012年 開業 | 23:00 | comments(0) | trackbacks(0) | ↑PAGE TOP
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